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三沢光晴お別れ会 〜DEPARTURE〜
カテゴリー: つぶやき
月曜日から風邪を引いたのか体調がもう一つで、7月4日土曜日の朝も起きたら怠かった。
風邪を引きつつも酒を飲んだからだろうか。
長女は友達と遊びに出かけ、残された次女が一人でかわいそうだったので遊びに出掛ける事にした。
しかし。
またしても忘れていた。
ちょっと悩んだが、行かない事で後悔はしたくなかった。
後悔したくない、常に思っている事だった。
次女に言った。
「今日も行かなきゃならないとこがある。お別れを言いに行くんだ。」
5月にも次女に言った、思いを込めた言葉だ。
5月の時には、こういう事に行くのは最初で最後と思っていたのだが…
今回も次女を連れ、水を持参した。
どのくらいになるか、まるで見当はつかなかったが長丁場になる事は予想できたからだ。
献花の花は何がいいのか悩んだが、派手な人ではないのでやはり白い花にしようと思った。
しかし白い菊ではないな、と。
花屋ですぐに目についたのが白いバラだった。
白いバラを、と店員に言うと6、7本あった白いバラを店員が、
「全部包みますか?」
黙って頷いた。
華麗なプロレスラーだった三沢には白いバラが似合うと思ったからだ。
緑と白は三沢の象徴的なカラーでもある。
有楽町で有楽町線に乗り換える。
花束を持った人をチラホラ見かけた。
豊洲に着いた時には、花束を持った人を多く見かけるようになった。
ゆりかもめの豊洲駅に着いた時、三沢光晴さんのお別れ会の列が隣の駅の新豊洲まできています、とのアナウンスがあった。
ディファ有明がある有明テニスの森から二つ先の駅だ。
後で調べたところ、移動距離は約2キロにもなった。
16時過ぎに新豊洲に着くとホームからすでに長い列が見えた。
場内アナウンスで、三沢光晴さんのお別れ会だは途中でトイレがない、とのアナウンス。
だからココでトイレに入っておけ、という事だった。
ゆりかもめはやけに親切だった。
常に歩いているものの、緑色を身につけた人も目立った列は晴海大橋の中間まで伸びていた。
列の最後尾に行くまでに、かなりの距離を歩いた。
しかし凄い列だ。
娘が訊く。
「どうしてこんなに人が並んでるの?」
「それはね…」
予想を超える長い列だ。
やはり三沢だからだな、と思った。
献花に訪れた人は2万6千人にもなったらしい。
7月という事でそこそこ暑い日だったが、常に海風が心地よく吹いていたので暑さが辛いという事はなかった。
思いの強さは怠さを吹っ飛ばしてくれた。
順調に歩いてディファ有明が見えたあたりから、列の動きが止まった。
それでも少しずつ進み、並んでから1時間半弱くらいでディファ有明に入ることが出来た。
入ってからも少しずつ進み記帳を済ませ、ディファの会場内へ。
入ってすぐに、三沢の数々の試合のパネルが飾られていた。
それらをひとしきり見て、緑のリングがある会場へ。
場内ではスパルタンXが流れていた。
通常のバージョンに続き、スローバージョンも。
そして正面には大きな遺影が飾られていた。

リングの上には、山のように沢山の献花が投げ込まれていた。
時折、「みさわ〜!」の絶叫があがり、それを聞くとぐっと胸に来る。
リング右手から白いバラを投げ込み、心の中で感謝の言葉を言った。
会場出口近くには、ノアの選手達が弔問客に対して御礼をしていた。
一番出口に近い所にいた小川良成の涙を堪えている姿が印象的で、悲しみの深さがわかるようだった。
会場を出た時は、並んでから2時間半近くだった。
ディファ有明を出る際に、エメラルドグリーンの封筒を渡された。
三沢が写っているカードだと予想は出来たのだが、中を見てハッとした。
カードに書かれていた言葉は、
「時間は取り戻せない。私は後悔したくない。from 理想主義者」
やはり来て良かった。
最後にこの言葉を貰えたから。
風邪を引きつつも酒を飲んだからだろうか。
長女は友達と遊びに出かけ、残された次女が一人でかわいそうだったので遊びに出掛ける事にした。
しかし。
またしても忘れていた。
ちょっと悩んだが、行かない事で後悔はしたくなかった。
後悔したくない、常に思っている事だった。
次女に言った。
「今日も行かなきゃならないとこがある。お別れを言いに行くんだ。」
5月にも次女に言った、思いを込めた言葉だ。
5月の時には、こういう事に行くのは最初で最後と思っていたのだが…
今回も次女を連れ、水を持参した。
どのくらいになるか、まるで見当はつかなかったが長丁場になる事は予想できたからだ。
献花の花は何がいいのか悩んだが、派手な人ではないのでやはり白い花にしようと思った。
しかし白い菊ではないな、と。
花屋ですぐに目についたのが白いバラだった。
白いバラを、と店員に言うと6、7本あった白いバラを店員が、
「全部包みますか?」
黙って頷いた。
華麗なプロレスラーだった三沢には白いバラが似合うと思ったからだ。
緑と白は三沢の象徴的なカラーでもある。
有楽町で有楽町線に乗り換える。
花束を持った人をチラホラ見かけた。
豊洲に着いた時には、花束を持った人を多く見かけるようになった。
ゆりかもめの豊洲駅に着いた時、三沢光晴さんのお別れ会の列が隣の駅の新豊洲まできています、とのアナウンスがあった。
ディファ有明がある有明テニスの森から二つ先の駅だ。
後で調べたところ、移動距離は約2キロにもなった。
16時過ぎに新豊洲に着くとホームからすでに長い列が見えた。
場内アナウンスで、三沢光晴さんのお別れ会だは途中でトイレがない、とのアナウンス。
だからココでトイレに入っておけ、という事だった。
ゆりかもめはやけに親切だった。
常に歩いているものの、緑色を身につけた人も目立った列は晴海大橋の中間まで伸びていた。
列の最後尾に行くまでに、かなりの距離を歩いた。
しかし凄い列だ。
娘が訊く。
「どうしてこんなに人が並んでるの?」
「それはね…」
予想を超える長い列だ。
やはり三沢だからだな、と思った。
献花に訪れた人は2万6千人にもなったらしい。
7月という事でそこそこ暑い日だったが、常に海風が心地よく吹いていたので暑さが辛いという事はなかった。
思いの強さは怠さを吹っ飛ばしてくれた。
順調に歩いてディファ有明が見えたあたりから、列の動きが止まった。
それでも少しずつ進み、並んでから1時間半弱くらいでディファ有明に入ることが出来た。
入ってからも少しずつ進み記帳を済ませ、ディファの会場内へ。
入ってすぐに、三沢の数々の試合のパネルが飾られていた。
それらをひとしきり見て、緑のリングがある会場へ。
場内ではスパルタンXが流れていた。
通常のバージョンに続き、スローバージョンも。
そして正面には大きな遺影が飾られていた。

リングの上には、山のように沢山の献花が投げ込まれていた。
時折、「みさわ〜!」の絶叫があがり、それを聞くとぐっと胸に来る。
リング右手から白いバラを投げ込み、心の中で感謝の言葉を言った。
会場出口近くには、ノアの選手達が弔問客に対して御礼をしていた。
一番出口に近い所にいた小川良成の涙を堪えている姿が印象的で、悲しみの深さがわかるようだった。
会場を出た時は、並んでから2時間半近くだった。
ディファ有明を出る際に、エメラルドグリーンの封筒を渡された。
三沢が写っているカードだと予想は出来たのだが、中を見てハッとした。
カードに書かれていた言葉は、
「時間は取り戻せない。私は後悔したくない。from 理想主義者」
やはり来て良かった。
最後にこの言葉を貰えたから。
2009/07/05(日) 03:40 | trackback(0) |
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